集まりました

2018年5月28日

多士済済!昭和40年入社の25人

 5月14日(月)、日本記者クラブで毎日新聞、昭和40(1965)年入社、東京本社在勤経験者55人の同期会があった。亡くなったのは14人、老残の何と25人が集まった。九州、大阪、名古屋から掛けつけたメンバーもいた。スゴイね。

 つい最近、幹事5人のご苦労さん会をやった。当方(佐々木宏人)は司会をしたのだが、その時の写真を元写真部・社会部の板垣雅夫君が手渡してくれた。出席者全員にすでに送っていたのだが、その同封文書にみんなで大笑い。

 「急にアップ写真が必要になる方(!)ご連絡ください」

 要するに葬儀用の写真のことではないか!

 板垣君にいわせると「全員個別写真を撮ったが、佐々木君のが一番いい!絶対喜ばれるよ!」。なんだかなー。帰って女房に見せたら「是非データで送ってもらって!」と嬉しそう。

 でもこの同期会、面白かった。元社長で現在横綱審議委員会委員長でテレビに良く出てくるアゴヒゲの北村正任君、元テレビキャスターで都知事選にも出た鳥越俊太郎君。

 大学教授を含めて教壇に立ったのは、苫米地重亨君、永井浩君、五島昭君、脇地炯君、冨田昌志君、田中良太君、熊澤誠吾君、板垣雅夫君。そういえば鳥越君も大学教授をやっていたなぁ。竹内恒之君は、点字毎日の元編集長。点訳奉仕は今でも続けている。

 社長になった人も結構いて、RKB毎日放送の石上大和君、日本新聞インキの清水敬之君、毎日エージェントの竹内敬康君。水野弘敏君はスポニチの大阪本社の元代表、経理の稲山輝機、石井潔両君は、毎日新聞や下野新聞で役員を務めた。

司会の小生

 1人1分の近況報告、という事で始めた挨拶。どうせオーバーすると思って45分を予定していたが、何と110分。最長の人が17分というからスゴイ。新聞記者ならぬ「新聞話者」だね。

 でもそれぞれ人生の決算期に来て思うこと、言えなかったこと、これまでの人生での山谷を越えて吹っ切れて、ホンネを吐露して、聞いていて本当に気持ちが良かった。

 丁度、我々の入社のときは、1964年の東京オリンピックの時。入社前にオリンピック取材のアルバイトにこき使われた。それだけに同期意識が強いのかもしれない。

 次回の東京オリンピックの年の2020年にまたやろうという事になったが、この写真を使わないように元気で開催したい。

 出席者(五十音順、敬称略)
 赤松徳禎、浅沼英範、稲山輝機、石井潔、石上大和、板垣雅夫、大井弘久、尾島一平、北村正任、木脇洋、熊澤誠吾、五島昭、佐々木宏人、斎藤光紀、清水敬之、竹内敬康、竹内恒之、田中良太、鳥越俊太郎、苫米地重亨、冨田昌志、永井浩、三浦碩哉、水野弘敏、脇地炯。

(佐々木宏人)