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2015年7月22日

根上磐さんを偲ぶ会

追悼の辞を述べる朝比奈社長。正面に妙子夫人と友人代表たち
追悼の辞を述べる朝比奈社長。正面に妙子夫人と友人代表たち

 猛暑の7月22日、根上磐さん(5月19日逝去、80歳)を偲ぶ会がパレスサイドビルB1毎日ホールで開かれた。参加148人。出身の社会部だけでなく、多彩な交遊の関連で、他の新聞社や仕事先の警視庁、名古屋キャッスルホテルはじめ会社関係の友人も加わって、こもごも思い出を語り合って魅力ある人柄を浮き彫りにした。

 磐さんは、社会部ひとすじ20年。おそらく最長不倒距離である。三億円事件は発生から時効まで追って『三億円犯人の独白』、ロッキード事件ではサブデスクとして『児玉番日記』(いずれも毎日新聞社刊)を出版した。生活家庭部長、運動部長、地方部長のあと事業本部長。都市対抗野球大会の東京ドーム開催、日米野球を大成功させた。取締役中部本社代表、東京本社副代表。常務取締役で退任し、ホテルナゴヤキャッスル社長として最高級シティホテルの経営にも手腕を発揮した。

 発起人代表の朝比奈豊社長は、磐さんが警視庁キャップのときの捜査二課担当記者。依田智治元参議院議員氏は警視庁広報課長時代の思い出を話し、8月に卆寿を迎える牧内節男氏が献杯の音頭をとった。井草隆雄氏は磐さんと妙子夫人との馴れ初めを、高橋豊氏は『児玉番日記』の裏話を、 元日経新聞の野田幸雄氏は「夜回り先は根上邸だった」ことを、それぞれ披露した。

 磐さんと一緒に警視庁を担当した現産経新聞の古森義久氏はワシントンから。「あの心なごやむ体型、その体型とは対照的な鋭敏な取材、私たち後輩記者への温かい思いやりと慰めは、決して忘れられません」最後に妙子夫人がお礼の挨拶。大坪信剛社会部長が中締めをしてお開きとなった。

(堤 哲)