随筆集

2023年6月12日

「東日」「大毎」の夕刊1面で展開した連載小説「大菩薩峠」

 読売新聞が朝刊文化面で[時代・歴史小説の世紀]の連載を始めた。その第1回が《「大菩薩峠」の足跡》。ニヒルな剣豪机龍之助が活躍する未完の大長編小説である。

 「大菩薩峠」は、中里介山(1885~1944)が自身の勤めていた「都新聞」で1913(大正2)年9月12日から連載を始めた。21(大正10)年10月まで8年間で1438回続いた。

 4年後の1925(大正14)年1月6日夕刊「東日(東京日日新聞)」と「大毎(大阪毎日新聞)」の1面で連載が再スタートする。翌26年10月21日まで最終500回だった。

1925(大正14)年1月6日東日夕刊1面
中里介山

 以下が「東日」夕刊の第1回である。

 夕刊の目玉として、「大菩薩峠」の連載が出来ないか。「東日」編集主幹城戸元亮(のち会長)が、論説委員で「近事片々」を担当していた新妻莞(のち学芸部長、イト夫人は戦後初の衆院選で当選した女性代議士の1人)に作者中里介山との交渉を命じた。

 新妻は、同時に挿絵を彫刻家で画家・版画家の石井鶴三に頼んだ。

 紙面で中里介山と石井鶴三の名前が同じ大きさの活字で並んでいる。1回の原稿料も同額にしたという。

 紙面の真中に中里介山が「大菩薩峠」執筆に臨んで、と「緒言」を書いている。

 最下段は、「大菩薩峠」を出版した「春秋社」の全2段広告。既刊4冊、定価各3円、4冊12円とある。

 この連載が評判を呼び、「東日」「大毎」とも発行部数を伸ばすのだ。

 さらに1年後の27(昭和2)年11月2日から28(昭和3)年9月8日まで連載、掲載回数は計709回に及んだと、社史『「毎日」の3世紀』にある。

 「大菩薩峠」は、その後「国民新聞」「読売新聞」と掲載紙を変えて連載が続き、介山が44(昭和19)年4月腸チフスで急逝(享年59歳)、未完で終わった。

 「全41巻(18冊)、文字にして510万字。それは源氏物語の6倍、八犬伝の3倍、トルストイの『戦争と平和』の3・5倍に相当するのだという」

 これは伊東祐吏著『「大菩薩峠」を都新聞で読む』(論創社2013年刊)からの引用だが、伊東は、単行本の「大菩薩峠」を読み始めて、すぐ投げ出してしまう。「大衆向けの娯楽的な読み物であるはずなのに、話の内容がよく分からないのである」

 そこで、「都新聞」に当たる。「単行本と違って、すらすらと読める。とにかくおもしろいのである」

 何故か。介山が単行本にする際、大幅に編集している。「とにかく話の筋が分かればいいというような、極めて雑で荒い編集」「ひとことで言うならば、現在の『大菩薩峠』は、質の悪いダイジェスト版である」

 「都新聞」連載1438回の全体の削除率は、単純計算で29・4%と算出した、とある。

 『大菩薩峠【都新聞版】』第1巻~第9巻が発行されている(2014年~15年)。「都新聞」の復刻版で、定価は第2巻の2400円を除き3200円+税である。

 出版した論創社は、社会部OB滑志田隆さんの最新刊『椿飛ぶ天地』の他、『埋もれた波濤』『道祖神の口笛』を出版している。

(堤  哲)