随筆集

2023年5月12日

「奥ゆかしすぎる」司法記者三浦正己さんの「日航機墜落事故」特ダネ

 社会部OB小畑和彦さん(2012年没67歳)のブログがインターネット上に残っている。日航ジャンボ機墜落事故に関連して、三浦正己さんの特ダネを書いている。

 《事故が起きた1985(昭和60)年8月12日、東京社会部の三浦正己記者は、終戦記念日の企画記事を担当していた。事故を知って社会部に戻り、犠牲者の名簿班に入り遺族の取材に走り回った。翌年夏には墜落事故一周忌の取材班に入り、遺族との交流を深めていった。遺族で作る8・12連絡会は、遺族の手記「茜雲」と手紙集「聞こえますか」を手作りの小冊子にまとめていた。三浦記者はこれを出版することを勧め87年3月、「おすたかれくいえむ」のタイトルで毎日新聞社から刊行された》

 その4年後には、続編『再びのおすたかれくいえむ』が毎日新聞社から出版された。

 小畑さんの記事によると、事故機内の写真が群馬県警に提出され、90(平成2)年8月12日に事故の刑事責任の時効が成立すると、写真が遺族に返却された。三浦さんは、この写真の公表を求めて遺族と交渉、毎日新聞が夕刊で報道すると同時に遺族が記者会見して公表することになったという。

 これがその紙面である。小畑さんは、こう書いている。《13日付夕刊に衝撃的な写真が掲載された。1面トップ5段でジャンボ機が墜落直前、天井から下りた酸素マスクを口に当てた乗客の後ろ姿を写していた。もう1枚は伊豆半島に向かう途中、窓から相模湾、江の島、富士山を映し出していた。3面には離陸直後、やはり窓から撮影した写真4枚が掲載された。空には、夕日に染まり始めた茜雲が広がっていた。写真ごとに撮影したと推定される地点が地図で示され、緊迫する墜落直前の様子は改めて事故の悲惨さを読者に訴え、大きな反響を呼んだ》

NHKのETV特集「誰のための司法か〜團藤重光 最高裁・事件ノート〜」画面から

 三浦さんは東大剣道部OB。近況をメールで尋ねると、「昭和女子大学トルストイ室長を65歳定年で退職してからも、日本トルストイ協会事務局長理事を続けています。年2回の講演会、毎年の協会誌発行、何回かの理事会の設営――というのが、その主な活動内容です」と返信があった。

(堤  哲)